BOURGES
ブ-ルジュ
2016.05.15

<概要> 

 人口7万人弱だが立派な町並み。ケルト人のビトゥリゲス族が設けたオッピドゥム(集落)が起源であり、当時はアウァリクム(ラテン語:Avaricum)と呼ばれていた。共和政ローマ時期のガリア戦争ではガイウス・ユリウス・カエサル率いるローマ軍とウェルキンゲトリクス(Vercingetorix)らガリア軍の戦いの舞台ともなった(アウァリクム包囲戦)。

 ガリア戦争後も引き続き発展し、道路を通じてカエサロドゥヌム(現トゥール)、ケナブム(現オルレアン)、アウグストリトゥム(現リモージュ)などと結ばれていた。3世紀より司教座がおかれ、のちに大司教座へと昇格した。

 町の南側の駐車場に車を停めて市庁舎を右手に見ながらRue Moyenneを北上すると右手に巨大な大聖堂Cathedrale St-Etienneが現れる。13世紀に完成したフランス・ゴシックの代表的建築であり、世界文化遺産に指定されている。ステンドグラスは建設当初の13世紀から17世紀にかけて作られた物が並んでおり、技法の変遷が見て取れる。

 賑やかなRue Moyenneをさらに北上して、小さなレストランで昼食を済ませ、Palas Jacques Coeurへと向かった。15世紀に鉱物事業や宮廷への納品で財をなして宮殿のような自宅を建設した。閉館中で内部は見られなかった。


Palas Jacques Coeurの前の広場

Palas Jacques Coeur


Rue Moyenne


Cathedrale St-Etienneの偉容が

Cathedrale St-Etienne

案内板

内部は意外に明るい

古いステンドグラス

比較的新しいステンドグラス

Cathedrale St-Etienneの後陣

市庁舎付近のロータリー

風力発電が多いなぁ